地上に舞い降りた妖精のプリンセス〜オードリー・ヘブパーン〜

世界を魅了し続けたオードリー・ヘプバーン。
(Audrey Hepburn、1929年5月4日 – 1993年1月20日)

1929年、アイルランド系英国人で銀行家の父親、ジョセフ・アンソニー・ヘップバーン・ラストンと
オランダ男爵家出身の母親、エッラ・ファン・ヘームストラのもとに、ベルギーブリュッセルで誕生。

裕福な家庭に生まれましたが、父はファシズムに共鳴し家出。
オードリーが10歳の頃、安全なオランダに移住。
しかし、思春期で一番大切な時期にナチスの統治下に。

父のいない不安、貧しさ、ナチスの恐怖。
チューリップの球根を食べて飢えをしのいだといいます。

後年、アンネ・フランクと自分は姉妹だから、
どんなに依頼されてもアンネの役は引き受けられないと断ります。

戦後、オードリーは成功へのステップを踏み続けます。

「麗しのサブリナ」
「ティファニーで朝食を」
「マイ・フェア・レディー」などへの主演。

1954年には、女優最高の栄誉であるアカデミー賞主演女優賞を受賞。

一方で、オードリーは戦争を体験して、
食料、自由、健康、家庭、人の命に深い感謝の念を常に抱いていました。

25歳、女優としての人生最高潮の時に、
心身の消耗を感じたと同時に2人の息子に愛を注ぐため、スイスに移住します。

女優としてのキャリアの絶頂期に、
家族にしわ寄せが出ない程度に仕事をすると決断をし、
引く手あまたの大作の出演を拒否し続けたのです。

生涯には二度の離婚もありましたが、
それを乗り越え、オランダ人俳優ロバート・ウォルターズを生涯のパートナーとして過ごし、
58歳の時、スピルバーグ監督作品「オールウエイズ」を最後に引退。

そこから亡くなる直前まで、戦争の際お世話になったユニセフの親善大使となり、
スーダン、エルサルバドル、ベトナム、エチオピア、ソマリアなどを50回以上訪問。

世界中の人々に、恵まれない子供達に手を差し伸べてくれるように呼びかけました。

以下は彼女が大好きだった言葉。

“年をとれば、君は2本の手を持っている事に気づくだろう。
自分自身を助ける手と、他人を助ける手と。”
– サム・レヴェンソンの詩集「時の試練をへた人生の知恵」より

1993年1月20日スイス・ローザンヌ近郊のトロシュナ村で大腸癌のためその生涯を終えます。

享年63際。

Fairy princess descended to earth

オードリーのためのアロマ香水 処方箋

全体量10ml(賦香率12% パルファンドトワレ)

材料

イコアオンラインショップで取り扱いのあるものはリンクを貼ってあります(※産地が異なる場合があります)

作り方

  1. メスシリンダー等でエタノールを量り、ビーカーに入れます
  2. 精油を滴下し、竹串やガラス棒などでよく混ぜます
  3. 最後に精製水を量り入れ、よく混ぜて香水瓶に移し替えたら完成

 

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