花が好きでたまらなかった女優が王妃になった〜グレース・ケリー〜
モナコ公国の公妃、グレース・ケリーことグレース・パトリシア・ケリー。(1929年11月12日-1982年9月14日)
「クール・ビューティー」と賛美されたアメリカのハリウッド女優。
アメリカペンシルバニア州フィラデルフィア出身。
立身出世した建築業を営む父ジャック・ブレンダン・ケリーと、
モデル出身で大学で心理学の講師もしていた母マーガレットの間に次女として生まれました。
ケリー家は、スポーツ一家としても知られていましたが、
グレースだけはスポーツに興味が無く、
おとなしくて病気がちで、幼い頃から本やお芝居が好きでした。
そして花を愛し、庭の一角には自分だけの花壇を作っていたほど、
自然を愛する優しい少女で、家族からは浮いた存在でした。
12歳になると、姉のペギーと一緒にアマチュア劇団に参加。
敬愛する父に褒められたいという一心で演技を真剣に学び、
13歳の頃には、重要な役が与えられる様になっていきます。
高校卒業後 女優になる夢を実現させるため、
父親の反対を押し切って単身ニューヨークへ移住。
アメリカ舞台芸術アカデミーに入学。
モデル活動やテレビ出演で生活費を稼ぎながら、
コツコツと演技力を磨き、
その後、数々のオーディションを受けました。
背が高すぎる、足が長過ぎる、
知的な美貌過ぎる、顎が尖り過ぎる等で落選ばかりしていていましたが・・
20歳にブロードウェイの芝居『父』でデビュー。
これが転機となり、ハリウッドから声がかかり、2年後映画デビューする事となりました。
その後、クールなブロンドの美女を好むヒッチコックのお気に入り女優となり
「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」「泥棒成金」等に出演。
25歳の時に映画「喝采」でアカデミー主演女優賞を獲得しました。
26歳、カンヌ映画祭に招かれたグレースは、
モナコ国王のレーニエ大公と会う事になります。意気投合した二人は翌年結婚。
招待客600人のロイヤルウエディングは、
まさに息をのむほどのきらきらと輝くグレース・ケリーに、
世界中の人々が魅了され、世界中を沸かせました。
しかし、フランス語が話せなかったグレースにとっては、
新しい環境は不安や困惑、寂しさ、孤立感を味わうことに。
そんな中、28歳で第1子(カロリーヌ王女)、29歳で後継者の王子(アルベール王子)を出産。
これらの2人の子供を産んだ事によって、
夫だけでなく、国に対しても充分な責任を果たしたと
自信を持つようになっていきます。
36歳で3人目の子(ステファニー王女)を出産し、
40歳になると公妃としてめまぐるしい程忙しい日々を過ごしていました。
モナコ赤十字、病院や保育園の設立、社会活動を積極的に行い、
他にもグレース公妃基金、モナコバレエ団等を設立して
モナコの芸術や文化の発展の為に精力的に動いていた矢先・・・
ケリー妃は王女ステファニーとドライブの途中、
カーブを曲がりきれずに崖から滑り落ち、
翌日脳内出血が原因で、死去。享年52歳。
グレース妃は生前モナコ・ガーデン・クラブを設立、
国中を美しいバラで飾りたいと活動していました。
さらに押し花にも夢中になり、
何時間もアトリエにこもり作品作りに没頭する日が多かったよう。
モナコの人々は彼女を愛し、
「Roseraire Princesse Grace(グレース公妃のバラ園)」、
日本が大好きだった彼女を偲んで造った「Jardin Japonais(日本庭園)」を大切にし、その面影を偲んでいます。
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